承認欲求を元としたネットサービスの変換

非現実の象徴だったインターネット

自分がインターネットを使い始めたのは1996年頃のことで、その頃はといえば自分が知らなかっただけかもしれないが、ウェブサイトはそれほど多くはなく、yahooカテゴリ検索でそこそこの情報は集まる時代だった。

個人のウェブサイトというものが全盛期になったのはそのちょっと後くらいで、色んな人が個人サイトを立ち上げていた。比較的簡単に作れるメディアに誰もが飛びついた形だった。その頃は本名を使うことはほとんどなく偽名、いわゆるハンドルネームというものを自身につけ、現実とはつながらないところで自分を発信していた。

発信するといってもコンテンツなんて作れない。デジカメは高いし、動画なんて数分作るのに何日もかかる。元々何かやっていたわけでもないから面白いことが思い浮かぶわけでもない。ほとんどの個人サイトが主戦力としていたのは他愛もない日記だ。

この頃インターネット上で他者と関わる場合、メールを送ることは勿論、BBS(掲示板)だ。他人のサイトへ行き日記を読み、感想をBBSに書き込む。仲良くなった個人サイト同士が相互リンクをし、お互いのユーザーを分け合う。そんな牧歌的な世界だった(もちろん当時がそれだけだというわけではない)。

HTMLをしこしこ書いていた人たちはまだ良いが、HTMLを書けない人は日記システムをサービスとして提供していたところに群がり、それらを利用して自分のサイトに日記を公開していた。

そういった個人サイトの中で面白いことを考えつく人たちが現れる。特定のテーマ性をもって発信したり、文章を面白おかしく書くことに長けていたり、そういう所謂テキストサイトというものが人気の大半を占めるようになる。ReadMe!というテキストサイトのラインキングサイトが出来たりしてたのもこの時代だ。

こういった流れの中でblogサービスが始まり、元々日記をネットにあげていた層がそのままblogへとシフトしていった。blogは入力が簡単なことは勿論、コメントを残せる、トラックバック機能があるといったような、昔の「BBS」「相互リンク」の変わりとなるような機能が充実していたので、元々日記以外コンテンツを持たなかった人々にとっては、まさにベストなサービスが出たという感じなのだろう。

SNSの日本上陸。変換期の象徴「mixi

そんな中、海外でのSNS流行りを受けて、日本で始まったSNSサイト「mixi」はちょうど、前述の日記を書いていた層をうまく取り込んだ。元々個人サイトやblogで他愛もない日常を日記として書いていた人々は、そんな内容に対して多くの人が見に来てくれるわけでもなく、かといってリアルの知り合いに見てもらおうと思っても、元々あったインターネットの空気「現実の人との繋がりとは別の世界」があるからリアルの知り合いには見せられないような内面吐露しまくりの内容を書いてちゃってるから、とてもじゃないけど見せるわけにもいかない。

そんな中登場したmixiはインターネットの知り合いは勿論、現実の知り合いとも繋がって楽しもうという空気で始まった。しかもサービスのメインは「日記」のコーナーだ。日記にコメントも残すことができるし、誰が来たか「足あと」機能を見れば誰がわかる。他人の更新状況もわかるし、まさに至れり尽くせりだ。

さらに新しい知り合いを増やすための「コミュニティ」機能も加わりmixiが日本のインターネットの中心になったのであろう。

この頃はインターネットに個人が実名でやるようになる狭間の状態だったように思う。本名を名乗るわけではないけども知ってる人には本人とわかるような、それっぽいmixiネームを名乗るようになった。といってもなかなか気づけないものだから実際会った時に「mixiやってる?」が合言葉のようになった時期でもある。会員制のサイトだったから検索サイトにひっかかることもなかったので、繋がりたくない人には「やってません」と言えば済むような良い塩梅だったのだ。

黒船・twitterの上陸

mixiはその後もユーザー数を増やし続け、同時に様々なサービスをmixiに追加していった。それらをことごとく楽しめれば良かったのだが段々邪魔臭くなっていった人々が現れた。

そんな中、日本に上陸したのが当初、短文blogサービスとして登場した「twitter」だ。様々なコミュニケーション方法を提供していたmixiとは違い、ただただ140文字で何かを書き込むだけのtwitterがコミュニケーション疲れを起こしていた人々にとっては最高のサービスだった。使い方を1から100まで提供しているmixiとは違い、twitterはそれぞれの人がそれぞれの好きな使い方で使えばよい空気で始まった。コミュニケーションしたい人はすれば良いし、したくない人は1人ブツブツと言っていれば良いのだ。

さらに英語圏と違い日本語では漢字が使えるため、140字で伝えられる内容が多く、元々日記を晒しがちな日本人との相性は抜群だった。

twitterはその自由な使い方もあってか、当初本名での登録が望ましいとされてる中で始まったサービスだが、どんどんと匿名でのユーザー登録が増えていった。匿名ユーザーが増えたことで実名ユーザーは段々とナリを潜めているのも確かだ。正確に言えば誰が見ているかわからない状態になり、実名ユーザーは本音を書けるようなところではなくなっていった。

実名オンリーのFacebookあらわる

mixitwitterを経てそこそこ実名をインターネットで晒すことが大丈夫になってきた日本人に、いよいよ実名での登録を促すサイト「Facebook」が登場した。ニュースフィードというサービスが追加されたことで日本人の「日記好き」と相性があい、一時期から爆発的にユーザー数を伸ばしていくことになる。

他人の日記にコメントを残せる機能は勿論「いいね!」ボタンという大して頭を使わずワンクリックで相手を褒めるボタンがついたことで他人に肯定的にとらえてもらえそうな記事を人々は量産するようになった。さらには実名であることから誰かの文句を書くことも難しく、肯定を前提とした世界であるFacebookでは口当たりの良い記事だけが並ぶようになった。

 インターネットの歴史は承認欲求の歴史である

インターネットには色々な側面があるが、個人サイト→blog→SNSという流れだけを見てみると、その根底に共通するのは「承認欲求」にほかならない。誰かに自分を見てもらいたい、誰かに認めてもらいたいという気持ちがある人ほど、これらのサービスに傾倒していく。その最もたるものがFacebookだと言えるだろう。どんなに月日が経ってもFacebookの象徴である「いいね!」ボタンに他の種類が現れることはない。

誰かに書いてくれと頼まれたわけでもない日々の出来事をマメに書く人々は、そこにイイね!なりファボなりRTなりがほしいのだ。いっぱいもらえると自分を見てもらえた証拠にもなるし、なんなら認めてもらえたようにも思える。

自分自身から出たネタでは誰も認めてくれないから、面白いと思ったものをサラっとパクるし、ネットの人々が反応しそうなニュースネタや社会正義を振りかざしだす。そんなとこで書いてるくらいならなんか動けばいいのに、というのもよくみかける。あなたはどんな気分でネットに文字を書いてるだろうか。

すでに実名の世界では承認されたような気分になっている私は昔の匿名の時代が懐かしく、どこか言いたいことを言いたい放題できる「王様の耳はロバの耳」における理髪師が叫ぶ穴のようなところがほしくて、はてなブログを始めてみました。

今後ともよろしくお願いいたします。