お金を稼ぐ計算

月に1700万円稼ぐにはどうすればいいだろう。

例えば25日間、1日8時間働くとしたら単純計算で時給85000円だ。15時間働くとしたら45000円だ。ちょっと現実的に見えないだろうか。途方もない数字からは少しだけ身近な数字にはなったと思う。

 

今自分の最大の時給は15000円だ。そのレベルで全ての時間を詰めることができたとして562万5000円。当たり前だ、目標時給の3分の1だもの。でもだからといってこれを敷き詰めることもできないし、3倍にすることさえ不可能に近い。

 

とすると例えば15000円出る仕事が3つ同時に回っていればいいことになる。3つと言わないでも2つでもいい。なるべく目標に近づけようとするなら贅沢は言っていられない。少しずつしかできないのだ。

 

今自分は年額100万ほどの仕事を2つ受けている。これが月額だったらどうだ。200万なので時給換算すると5000円。あれ当たり前だけど全然たりない。でも例えば月100万の仕事を17個やれば1700万だ。月50万のしごとなら34個だ。あ、現実っぽい。時給45000円で毎日15時間働くことよりも、よほど現実味がある。1件50万ほどの仕事はないわけではないので、それを34個取ってくればいい。それを1カ月で終わらす。現実問題として自分一人でさばけるわけはないので、それを色んな人に振り分ける。すると自分の取り分はせいぜい2割くらいなので34万円くらいか。生きていくには十分な額だ。

34個の案件を制作系であれプロジェクト系であれ同時にまわすことはおそらく不可能じゃない。それをいかに捌くか次第でうまくいくラインが見えてくるのではないだろうか。

目指すは50万の案件を増やすこと。それ以下でもいいから案件数を増やすこと。月34個は無理でも増やすこと。月1個とか2個じゃだめだ。

 

義侠心の向こうにある承認欲求

SNSが隆盛を極めて以来、よく見かけるようになったのが「選挙へ行け」だの「原発反対」だのに関連した書き込みだ。書くだけならまだしも、彼らはそれを否定するような人に対して声高に「それはどうなんだ!」と否定気味で襲いかかってくる。それらの声はとても大きく、世の多くの人がそういった気分で過ごしているように見える。

だが実際はどうだろう。投票率は相変わらず低いし、原発は政治の世界まで届ききっているとは思えない。結局のところ、これらはノイジー・マイノリティ(声高な少数派)であり、物言わぬ多数、サイレント・マジョリティ達はSNSにはほとんど姿を表さなくなってきた。

これらは何もSNSに限ったことではない。それ以前、むしろ「サイレント・マジョリティ」とかいう言葉があるくらいだから、ずっとそういったことは散見されてきているのだろう。wikipediaで見てみるとアメリカのニクソン大統領が1969年に演説で用いたということだから、少なくともここ50年くらいはそういった捉え方は少なからずあるのだろう。

SNS以前にも同じことを思った。とある店にあるフライヤーを見たら、そのほとんどが「〜反対集会」的なイベントを告知するものばかりだったのだ。普通のイベントよりも多いそれらを見て、否定的な意見を言う人は声が大きいなと思ったものだ。

勿論少数派であるからこそ声を大きくあげないと、多くの人に伝わらないというのはわかる。しかしSNSで見られるそれらは同じような趣旨のもと行われているのだろうか。

前回、日本におけるインターネットの進化を承認欲求から見た形で書いたが、今回もその観点から見てみると、彼らは簡単にいえば「つながりやすい(認めてくれる)友達」をSNS上で見つけるために声高に叫んでいるように思える。少数派は数が多くないがゆえに仲間をみつけると一致団結しがちである。そうでないと戦えないから。なのでSNSで同じような主義主張を持った人を見つけると即座に仲間として行動するようになる(勿論SNS上での話だ)。

さらに例えば「選挙へ行け」というのは社会的にとっても素晴らしい意見だ。選挙に行かないよりよっぽどいいだろう。つまりは社会善である。「原発反対」もそうだ。電力料金云々やエネルギー効率云々を抜きにして「危険だからやめよう」というのは人命を最も大事ととらえた社会善である。個人の利益にはなりえない公共的な社会善を振りかざすことは、例えそれを知らない人間に見られてもマイナス評価には繋がりにくい。仲間を見つけやすい発言な上に、社会的にも有益なことを書いている俺、偉いのだ。

例えば同じく少数派である性的マイノリティの発言がどれほど拡散されるだろうか。性的マイノリティの問題は社会善でもなければ悪でもない。そういったことに関してはあまり発言が見受けられないのである。あんまり反応もしてもらえないしね。

日常的なことを書いていても見向きもされない自分が、そういったことを発信することで多くの人が(この場合反対意見を持つサイレント・マジョリティも含まれる)その人物に注目し、同じ思想を持った人は声までかけてきてくれる。注目されればされるほど、承認欲求は満ち足りていき、さらなる承認を得ようと多く、より激しい発言を繰り広げていく。

そんな彼らは現実で会うと思いのほか普通の人だ。強い発言もしなければ、なんだったらそういう話題に入ってこない事のほうが多い。それは世の中の大半がSNSの世界での反応とは違う「サイレント・マジョリティ」だということに薄々気づいているからではないだろうか。現実社会ではやはりそういった意見を声高に叫ぶ人は少数だから、共感を得られることもほとんどなければ「素晴らしい」と褒めてくれる人もいない。現実社会では繋がり得ない大勢が見ている世界だからこそ、彼の発言は注目を浴びることができるのだ。

これらの発言が大量に発信されることで、まるで世論がそういった方向に傾いているように見える。しかし大半の人はそんな技を使うことはなく日常を日常のままSNSに発信するか、もしくは何も言わずただ見ている。声高に彼らの発言を否定すると社会的には悪のように見えることもあるし、それ以前に彼らの仲間から集中砲火を浴びてしまう。そんな目には合いたくないから余計に黙る。

特定のSNSを利用する人が増えれば増えるほど集中砲火を浴びてしまう様が思い浮かぶからどんどん黙っていってしまう。さらにはそれが現実の自分とつながっているのであれば尚更やりづらい。まさに触らぬ神に祟りなし状態である。

サイレント・マジョリティ達は誰に頼まれたわけでもなく、そういった発言を繰り広げていく。なんならそういうことを日々時間をかけて書き込みしている自分を「世の中のためにこんなに俺頑張ってる」と思い他者からの承認だけでなく、自分自身を認めてあげることができるのだ。でも彼らは現実で何か行動を起こすこともほとんどなければ、実名を名乗って発言することもない。

SNS弁慶の彼らは今日も義侠心にかられ社会悪を叩く。自分を認めてもらいたいとは一言も言わず、ただひたすら世の中のため。

 

 

 

 

承認欲求を元としたネットサービスの変換

非現実の象徴だったインターネット

自分がインターネットを使い始めたのは1996年頃のことで、その頃はといえば自分が知らなかっただけかもしれないが、ウェブサイトはそれほど多くはなく、yahooカテゴリ検索でそこそこの情報は集まる時代だった。

個人のウェブサイトというものが全盛期になったのはそのちょっと後くらいで、色んな人が個人サイトを立ち上げていた。比較的簡単に作れるメディアに誰もが飛びついた形だった。その頃は本名を使うことはほとんどなく偽名、いわゆるハンドルネームというものを自身につけ、現実とはつながらないところで自分を発信していた。

発信するといってもコンテンツなんて作れない。デジカメは高いし、動画なんて数分作るのに何日もかかる。元々何かやっていたわけでもないから面白いことが思い浮かぶわけでもない。ほとんどの個人サイトが主戦力としていたのは他愛もない日記だ。

この頃インターネット上で他者と関わる場合、メールを送ることは勿論、BBS(掲示板)だ。他人のサイトへ行き日記を読み、感想をBBSに書き込む。仲良くなった個人サイト同士が相互リンクをし、お互いのユーザーを分け合う。そんな牧歌的な世界だった(もちろん当時がそれだけだというわけではない)。

HTMLをしこしこ書いていた人たちはまだ良いが、HTMLを書けない人は日記システムをサービスとして提供していたところに群がり、それらを利用して自分のサイトに日記を公開していた。

そういった個人サイトの中で面白いことを考えつく人たちが現れる。特定のテーマ性をもって発信したり、文章を面白おかしく書くことに長けていたり、そういう所謂テキストサイトというものが人気の大半を占めるようになる。ReadMe!というテキストサイトのラインキングサイトが出来たりしてたのもこの時代だ。

こういった流れの中でblogサービスが始まり、元々日記をネットにあげていた層がそのままblogへとシフトしていった。blogは入力が簡単なことは勿論、コメントを残せる、トラックバック機能があるといったような、昔の「BBS」「相互リンク」の変わりとなるような機能が充実していたので、元々日記以外コンテンツを持たなかった人々にとっては、まさにベストなサービスが出たという感じなのだろう。

SNSの日本上陸。変換期の象徴「mixi

そんな中、海外でのSNS流行りを受けて、日本で始まったSNSサイト「mixi」はちょうど、前述の日記を書いていた層をうまく取り込んだ。元々個人サイトやblogで他愛もない日常を日記として書いていた人々は、そんな内容に対して多くの人が見に来てくれるわけでもなく、かといってリアルの知り合いに見てもらおうと思っても、元々あったインターネットの空気「現実の人との繋がりとは別の世界」があるからリアルの知り合いには見せられないような内面吐露しまくりの内容を書いてちゃってるから、とてもじゃないけど見せるわけにもいかない。

そんな中登場したmixiはインターネットの知り合いは勿論、現実の知り合いとも繋がって楽しもうという空気で始まった。しかもサービスのメインは「日記」のコーナーだ。日記にコメントも残すことができるし、誰が来たか「足あと」機能を見れば誰がわかる。他人の更新状況もわかるし、まさに至れり尽くせりだ。

さらに新しい知り合いを増やすための「コミュニティ」機能も加わりmixiが日本のインターネットの中心になったのであろう。

この頃はインターネットに個人が実名でやるようになる狭間の状態だったように思う。本名を名乗るわけではないけども知ってる人には本人とわかるような、それっぽいmixiネームを名乗るようになった。といってもなかなか気づけないものだから実際会った時に「mixiやってる?」が合言葉のようになった時期でもある。会員制のサイトだったから検索サイトにひっかかることもなかったので、繋がりたくない人には「やってません」と言えば済むような良い塩梅だったのだ。

黒船・twitterの上陸

mixiはその後もユーザー数を増やし続け、同時に様々なサービスをmixiに追加していった。それらをことごとく楽しめれば良かったのだが段々邪魔臭くなっていった人々が現れた。

そんな中、日本に上陸したのが当初、短文blogサービスとして登場した「twitter」だ。様々なコミュニケーション方法を提供していたmixiとは違い、ただただ140文字で何かを書き込むだけのtwitterがコミュニケーション疲れを起こしていた人々にとっては最高のサービスだった。使い方を1から100まで提供しているmixiとは違い、twitterはそれぞれの人がそれぞれの好きな使い方で使えばよい空気で始まった。コミュニケーションしたい人はすれば良いし、したくない人は1人ブツブツと言っていれば良いのだ。

さらに英語圏と違い日本語では漢字が使えるため、140字で伝えられる内容が多く、元々日記を晒しがちな日本人との相性は抜群だった。

twitterはその自由な使い方もあってか、当初本名での登録が望ましいとされてる中で始まったサービスだが、どんどんと匿名でのユーザー登録が増えていった。匿名ユーザーが増えたことで実名ユーザーは段々とナリを潜めているのも確かだ。正確に言えば誰が見ているかわからない状態になり、実名ユーザーは本音を書けるようなところではなくなっていった。

実名オンリーのFacebookあらわる

mixitwitterを経てそこそこ実名をインターネットで晒すことが大丈夫になってきた日本人に、いよいよ実名での登録を促すサイト「Facebook」が登場した。ニュースフィードというサービスが追加されたことで日本人の「日記好き」と相性があい、一時期から爆発的にユーザー数を伸ばしていくことになる。

他人の日記にコメントを残せる機能は勿論「いいね!」ボタンという大して頭を使わずワンクリックで相手を褒めるボタンがついたことで他人に肯定的にとらえてもらえそうな記事を人々は量産するようになった。さらには実名であることから誰かの文句を書くことも難しく、肯定を前提とした世界であるFacebookでは口当たりの良い記事だけが並ぶようになった。

 インターネットの歴史は承認欲求の歴史である

インターネットには色々な側面があるが、個人サイト→blog→SNSという流れだけを見てみると、その根底に共通するのは「承認欲求」にほかならない。誰かに自分を見てもらいたい、誰かに認めてもらいたいという気持ちがある人ほど、これらのサービスに傾倒していく。その最もたるものがFacebookだと言えるだろう。どんなに月日が経ってもFacebookの象徴である「いいね!」ボタンに他の種類が現れることはない。

誰かに書いてくれと頼まれたわけでもない日々の出来事をマメに書く人々は、そこにイイね!なりファボなりRTなりがほしいのだ。いっぱいもらえると自分を見てもらえた証拠にもなるし、なんなら認めてもらえたようにも思える。

自分自身から出たネタでは誰も認めてくれないから、面白いと思ったものをサラっとパクるし、ネットの人々が反応しそうなニュースネタや社会正義を振りかざしだす。そんなとこで書いてるくらいならなんか動けばいいのに、というのもよくみかける。あなたはどんな気分でネットに文字を書いてるだろうか。

すでに実名の世界では承認されたような気分になっている私は昔の匿名の時代が懐かしく、どこか言いたいことを言いたい放題できる「王様の耳はロバの耳」における理髪師が叫ぶ穴のようなところがほしくて、はてなブログを始めてみました。

今後ともよろしくお願いいたします。